【第一部】独立の幕開け
僕が会社を辞めたのは2010年10月で年齢は45歳だった。
会社を辞めるまでに約1年をかけてどんなビジネスで起業するのかを考えて、当時はリサーチしまくった。自宅が東京の中心部にあって、小さいながらも3階建てのビルのような自宅建物が商業地域にあったため、まずはそれを使おうと考えていた。今や自宅を使って独立・在宅勤務など当たり前だけど、当時はまだそんな風潮は無かった。
ビジネス・スクール(MBA)で学んでいるときに、既に持っている資源(お金に限らず)を使ってビジネスをするという方法があったのを思い出したので、それを選んだ。自宅を使えば家賃がかからないから。
その上で、何をビジネスにするか?それを考えた。
まず、地元に無いサービスはなにか?それならライバルがいない。地元を1年歩き回り、遂に無いものに気づいた。それがネイルサロンだった。女性に聞くと1回爪を塗るのに当時は2万円ほどかかり、2週間毎にリピートされるという。。。男性的には信じられない無駄遣いをするのが女性だ。
さらに慎重な僕は、いろんな女性に「ネイルサロンはビジネスとしていけるか?」とヒアリングした結果、答えは100%「いける!」だった。
そこからネイリストさんを募集して2名のネイリストさんを採用することができたときには「勝った!人生に勝った!どうしよう?お客さんが列をなしてやってくるぞ。どうしよう?困ったな~w」
すでにベンチャー企業で大成功を収めている同級生に話したらニコニコしながら「ふ~ん、ネイル王だなお前」と言われて調子に乗った。
ネイリストさんには既にお客さんがついているので、開店初日から予約が入っており、第一号のお客様は真っ赤なフェラーリに乗ってご来店された。
また、期待していなかったので驚いたのは、店舗の両隣に住まわれる奥様がそれぞれご来店してくれたことだ。これはまったくの想定外だったので泣けた。嬉しかった。やはり行列のできるネイルサロンになってまうがなーw
そういう状態も数日で、そうこうしているうちにお客様はすっからかんに来なくなって、「宣伝しないと、誰もこないやろう~?宣伝やってよ」ってネイリストさんに言っていたが、「私達は技術提供するのが仕事。宣伝は自分たちの仕事ではない」と言われ、たしかにそうだと思った。
ま、そこも辛抱して、看板出して、地道にチラシ配って・・・といろいろとやった。
【第二部】大震災の日
そんな折、起きたのが、
東北大震災。当たり前だが突然来てしまった。
たくさんの被災者が出た。
ネイルサロンの客足は言わずもがな完全にゼロになったのが、僕が会社を辞めてからわずか5ヶ月目の出来事だった。
こらあかん!と思って、慌てて就職活動を始めたが、当時は当然、企業も震災で大打撃を受けており、就職が内定していた学生さん達の内定が取り消されるという社会問題も発生していたため、就職・転職市場自体がなくなっていた。リクルートとか大手の人材会社はじっと我慢することで耐えているのを感じたが、中小零細企業の人材会社は潰れまくった。市場自体がないのだから。
ネイルも同じで、そんな時期に華やかにネイルを塗っている女性は完全に消えた。
うちに限らず、ネイル業界も客足は途絶えただろう。当時はそんな他人事を考えている余裕はなく、どこか働くところはないかと探したが、ただでさえ、45歳の中年男性なのに、学生さん達が内定を取り消されているのに、自分のポジションなどこの世にあるわけがない。
ちなみに、僕が会社を辞めて独立するにあたり、たった一つだけ、心に誓ったことがある。
それは、「二度と給与報酬者には戻らない」ということだ。つまり、もう二度と生活のために雇われるワークスタイルを取らないという意味だ。なぜなら、もし独立に失敗したら「また会社勤めに戻れば良い」と逃げ道を作っている時点で独立に成功するイメージが無かったからだ。自分には会社員に戻るという道はすでに断たれているのだ。
と、ここまで心に決めていたにもかかわらず、大震災が来たときは、そんな誓いは、どこかにぶっ飛んでいた。
そういうこともあったが、誓いを破ったところでどうにかなることでもなかった。
今も時折思い出すそのときのイメージはこんな感じ。
寒~い砂漠に一人中年男が佇んで、風が「ぴゅーぴゅー」って吹いている。ぴゅ~
一言で言うと「終わった」というやつだ。
オワタ\(^o^)/
ネイリストさん達はというと、客が来ないので当然暇。
ネイリストさん達を改めてよく観察してみると、お二人はとても仲が悪く、一人は仕入れ費用として渡したお金を私生活に大いに使い込んでいて、もう一人は気が向かないとぜんぜん仕事もしないという状況だった。
そうだ。商売って信頼が大切で、人が大切なんだ。そんなことに気が付いた。MBAでは教えてくれなかったな~(笑)当たり前すぎか。
もちろん、ネイルサロンの失敗はネイリストさん達が問題ではなく、ビジネスオーナーの僕にすべての責任がある。
ネイリストさん達と今後の話を一人ずつとしてみたら、辞めてほしかった使い込みの人は残りたい、気が向かなきゃ働かないほうの人はもう辞めると。あえなくネイルサロンは撤退することにして、解散を発表したところ、使い込みのネイリストは高価な液体とか、爪を乾かす機械の電球やら僕の目の前で堂々と取り外して持って帰った。怒る気力さえ僕にはなかった。出ていってくれさえすれば助かるからだ。
知人との会話
で、ネイルサロンをオープンしてすぐに大震災がきた日、仙台で銀行員をやっていた同級生の女性から携帯メールがあった。
女:「Cくん、助けて」
僕:「大丈夫か!?がんばれ」
女:「助けてCくん」
僕:「がんばれ!なんとかなるよ!」
みたいなやり取りがあって、2週間ほど経ったころ、こんなメールが来た。
女:「やっと銀行に出勤することができたよ~(^^)」
僕:「そう。それは良かったね。僕なんかどこにも出勤するところがないよー(笑)」
女:「はっ?Cくん、もしもし?頭大丈夫?東北ではね、亡くなった人もたくさんいるんだよ。なにを言っちゃってるの?」
僕:「君の身内で亡くなった人いるの?」
女:「うちはたまたまいないけど」
僕:「そう。良かったね」
「・・もう連絡してこないで」
女:「わかった」
というやり取りがあって、それ以来今も彼女から連絡は来たことがない。
【第三部】独立の始まり
落ち着いて考えると、彼女の言う通りであって、たくさんの方々が亡くなり、多くの人が悲しみや苦しみでごった返している最中、こんなことでいじけている場合ではなかった。
こうして僕の独立は始まった。
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